【奇学生Vol.2】世界のKUMONを変えたい “ナンパ”が人生を変えた同志社大生・鬼木翔平
「KUMON(公文)を変えたい!」
熱い想いを持って、タイKUMONの社長に新規事業を提案し、その熱意が買われ、日本本社でのプレゼンを勝ち取った男がいます。
それが今回紹介する奇学生、同志社大学グローバル地域文化学部4回生の鬼木翔平さん。
鬼木さんは3回生のときに突如休学をし、バックパッカーとして世界中を旅してきました。
10以上の国と地域に立ち寄り、そこで様々な挑戦をしながら、現地の人と交流するなかで熱い想いを抱いたとのこと。
「KUMONを変えたい!」
そこ至った経緯と想いの熱量をお届けします。
※株式会社公文教育研究会(通称:KUMON・公文)は、教育事業を世界50か国以上で展開し、計400万人以上の学習者が所属する日系企業です。
以下、KUMONと表記します。
KUMONを変えたい! 熱い男が世界中の教室をつなげる挑戦。
―KUMONの社長にプレゼンテーションしたっていう話を聞いたんですけど。
何がどうなったら、プレゼンすることになるんですか?
話せば長くなるんですけど、まずオーストラリアのKUMONで働いたのが始まりです。
―えっ?オーストラリアのKUMONで働いたとは?
もともと幼稚園児のころから中学2年生まで日本のKUMONの教室に通っていたんです。
で、休学中オーストラリアでワーホリをしていたときに、たまたまKUMONの教室を見つけて。
「俺、ずっと通ってたし、いけるやん!」って思って、飛び込んで
「ここで働かせてくれ!」って頼んだのが、始まりですね。
―そこで、「働かせてほしい」って飛び込む発想がビックリです!
国も文化も違うのに、同じKUMONの教材知っていただけで、現地の社員とすぐに仲良くなれたんですよ。
KUMONが、グローバルで展開しているっていうのは知っていたんですけど、いざ目の当たりにしてみると「すげぇ」って感じました。
ただ、こんな国を超えたつながりや実績があるのに、この可能性をどうして生かしてないんやろうって疑問に思って。
それで、「KUMONを変えたい」って思ったんです。
まず、タイ社長が日本人で、しかも若者を応援してくれる方っていう話を聞いていたので
「プレゼンさせてください!」ってメールをして、会うことができました。
その方がほんとに協力的な方で、実際プレゼンしたら「おもしろい!」って理解してもらえて日本本社につないでくれたんです。
そこから本社に呼ばれて、そこで再びプレゼンしたという流れになります。
実際に導入するまではいかなかったんですけど、応援して下さる社員も何人かいて。
―すごい熱量ですね(笑)
ちなみに、それはどんな事業案なんですか?
「世界中のKUMONの教室をつなぐ」っていうものです。
ライブ中継とか、チャットとか、VRとかで、世界中の子どもたちが競い合いながら学べる環境を作りたいと思って、KUMONのネットワークを使えばできると思っています!
―スケールがめちゃめちゃ大きいですね!
今後も、KUMONをもっと良くしていきたいです。
だから今は、公文のOBとして、全国の教室で生徒や社員に対して毎月講演をさせてもらっています。
国籍・年齢問わず。世界とつながる「友だち1000人チャレンジ」
―そもそもどうして、休学したんですか?
元から海外志向が強くて、大学で1度は海外に出ようと思っていました。
ただ、海外の大学に留学するのは違うなって思ったんです。
「いろんな人と関わって、多様な価値観を受け入れられる人になりたい!」
そう思って、3回生になる前に休学しました。
―留学の代わりに、何をしたんですか?
1番大きなものとしては、「友だち1000人チャレンジ」です。
これは世界を旅しながらたくさんの人と出会い、話をして友だちになることで、いろんな価値観を知り受け入れるというものです。
ワーホリの合間に「あなたの人生を聞かせてください」って書いたホワイトボードを持って道路に立ち続けました。
ー1日中ですか?
ほんとに1日中ですね。
けっこう人から笑われることも多くて、つらかったです。
ただ、それがあったからこそ、「絶対毎日やってやろう」って思えました。
そしたら、通りすがりのおばちゃんがお弁当をくれたり、船の船長と仲よくなって、無料でクルーズに招待してもらったり。
人の温かみに触れて、「ちょっとバカにされたくらいで、心折れていたらあかんな」って頑張れましたね。
ー素敵ですね。他にどんな出会いがあったんですか?
いろんな国でやったので、年齢や国籍バラバラでおもしろいですよ。
4歳の男の子から、90歳近いおばあちゃんまでさまざまな人と友だちになりました。
特に覚えているのは、オーストラリアで出会った、ネパール出身の社会人の方ですかね。
オーストラリアで仲良くなって、ネパールの家に招待されて、家族ぐるみで仲良くなったんです。
しかも、その人が学校経営しているすごい方で、一緒にプロジェクトを進めたり、学校に見学してアドバイスさせてもらったり。
ほんとに、貴重な経験をさせてもらえました。
―ものすごい縁ですね。
ほんとにそうなんです。
その人が、たまたまオーストラリアで僕に話しかけてくれて仲良くなっただけで。
もしそうじゃなかったら、僕がその人と知り合うこともなかったし、ネパールに行くこともなかったし、一緒に事業することもなかったはずです。
この旅で出会った人みんなですけど。
10年後とかに、「覚えてる?」って会いに行けたらステキだなって思っています。
金髪美女にナンパ!? 自分の世界が広がる経験。
ーそもそも海外に興味を持ったのは、いつからですか?
きぅかけは高2の修学旅行で、シンガポールに行ったことです。
そこのビーチ沿いに、めちゃくちゃかわいい白人の金髪美女が読書をしていて。
「こんな絵になることあるか!?」って男6人くらいで大興奮して。
「写真撮ってもらうしかない!そのためにここに来たんだ!」っていう勢いで話しかけに行ったんです。
でも、英語話せないし、全然通じなくて。
片言の英語で何回もお願いしたら、なんとか通じたんです。
ーすごいチャレンジですね!そこからどう変わったんですか?
その瞬間に、「英語が話せたら、こんなに世界が広がるんだ」って。
自分の世界が爆発的に広がった感覚がありました。
きっかけは、まあナンパみたいなものなんですけどね。
そっから、日本に帰ってから、猛勉強でした。
それまで勉強をほとんどしてこなかったんですけど、
毎朝4時半の電車に乗って学校に行って、英語の勉強や、英会話を始めたんです。
たった1回のナンパで、ほんとに人生が変わりましたね。
あのとき、声をかけてなければ、間違いなく人生変わっていたと思います。
それくらい、僕にとっては大きな原体験でした。
アウトドアで“人を育むコミュニティ”。
ー最近、アウトドアコミュニティを立ち上げたそうですが、どんな活動をしていますか?
今、メンバーは6人くらいで、いろんなイベントを企画しています。
きっかけは、自分のバックパッカー時代の経験にあって。
新しいものにチャレンジしたことで、新たな自分を知ったり多様な価値観を認められるようになったりしたと思うんです。
そういう良さっていうのを、みんなに知ってほしくて。
アウトドアって、手軽に新しい体験をできる活動だと思うんです。
登山や釣りって、興味はあってもあんまりする機会がなく、新鮮だと思うんですよね。
いわば、非日常体験ができる場を提供するコミュニティを目指しています。
ただ、他のメンバーはまた違う思いで活動しているし、ほんと自由な場ですよ。
ー何か目標とかあります?
こういった、“人を育むコミュニティ”を大切にしていきたいですね。
そのために、まずはこのコミュニティの規模をどんどん大きくしていって、たくさんの人に価値のあるものを提供していきます。
インタビューを終えて
インタビューする前、鬼木さんは普通の大学生という感じ。
しかし、話を聞いてみると、うちに秘めた熱い想いがどんどん溢れてくる、そんな方でした。
世界のKUMONを変えようとしたり、アウトドアコミュニティーを立ち上げたり。
そんなチャレンジの裏には、人々のつながりを作るコミュニティへの想いがあるといいます。
「小さくてもいい。
自分の力で、教育に改革を起こしたいんです。
子どもの身近にいる大人が、保護者や教師だけではダメだと思う。
子どもが、地域の中高生や大学生、社会人など、たくさんの大人と関わって将来を見つめ直せるコミュニティを作りたい。」
熱意が込められた想いを何度も語る鬼木さんに、日本の未来を期待せずにはいられない。
それほどまでに、鬼木さんの熱さを感じ、心が打たれるインタビューでした。
鬼木翔平さんのプロフィール
同志社大学グローバル地域文化学部3回生
鬼木さんの運営するコミュニティー:@outgrowth_1_
鬼木さんを紹介した奇学生
そんな鬼木さんを紹介したのは、鬼木さんの大学の同級生の小野さん。
大学時代にファッションショーに出たり、ヒッチハイクやフリーハグをしたり。
そんな彼が、最近東京でバーを開いた。そのきっかけがかなりユニークです。
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この記事を書いた人: 黄助
【きすけ】好きな言葉は「身近な人から幸せに」
人と自由と甘いものが好きなインターン学生。
大仏、富士山、琵琶湖などの日本一を目の当たりにし、現在は世界一に興味アリ!
この記事へのコメント
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いいやん
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頑張ってほしいです!