【奇学生Vol.0】20歳で生徒会長!?空白の5年間が人生を変えた龍谷大生・若松憲生
「あの5年間は必要でした。だから、今の自分がいるんです。」
そう語るのは、龍谷大学社会学部の若松憲生さん。
現在は、就職活動を終え、内定先の企業で長期インターンをしているという。
そんな充実した生活を送る彼だが、実の年齢は同学年より2つ上。
その経歴は、休学にも浪人にも当てはまらない。
彼の過去に、いったい何があったのか。
聞くだけでドキドキワクワクしてしまう彼の経歴を、ここで紹介しようと思う。
13歳から17歳まで。学校に行かない反抗期。
━━中学から5年間、学校に行かなかったと聞いたのですが…
そうですね。中学1年生から18歳になるくらいまで、学校には行きませんでした。
というのも、中学に入ってすぐ、先生とすごいケンカになったんですよ。
それがきっかけで、先生とも険悪になり、そんなんだったら学校なんて行かなくていいやって。
あと、父親が単身赴任で家にいなかったせいか、母親がけっこう厳しかったんですよ。
小学校の頃は親の期待に応えたくてかなり優等生してたんですけど、その反動もあったんだと思います。
━━学校に行っていない時には何をしてたんですか?
想像通りだと思うんですけど、ゲーセンに行ったり、公園でバスケしたりとかしてました。学校に行かなくても、友達というか遊び相手っているものなんですよ。(笑)
━━いま、龍谷大学に行ってますよね?高校に通おうとしたきっかけは?
中学生から合気道クラブに行っていて。学校は休んでいても練習には行ってたんですよ。
でも、同年代の子たちは学校にも行ってるので、テストや勉強の話をするじゃないですか。
それが全く理解できないのがちょっと悔しくなってきて。
「本当にこれでいいのかな。このまま後の人生俺どうなるんだろう・・・」 って感じてた時、父親が単身赴任先から戻ってきて、ボコボコにされたんですよ(笑)
━━えー!どういうことですか?
学校休んでしばらくは、まあ放任されていたというか、母親も少し経ったら学校に行き始めると思ってくれていたみたいですけどね。
でも、さすがに何年もごまかせないというか。
ある日、家に帰ってきたら父親に「明日から、お前はこの家を使うな」って言われて。
簡単に言うと、親子の縁を切るってやつですね。
「お前は何のために生きているんだ。お前もうちょい自分の人生考えろ!!」と怒鳴られて。
そのとき父親といろいろ話をした結果、勉強して高校に行くという、当時は一番取りたくない選択股を自分で決意しました。
━━そうだったんですね。1番取りたくなかったんですか?
まあなんとなく自立したいっていうのもあったんですよ。
しかもその頃には、学校とか先生への嫌悪感とかどうでもよくなっていて。
それよりも、“中卒で世間知らず” と思われる方が悔しいって気持ちになっていました。
それが夏のことだったので、受験は半年後でした。
どうせやるなら絶対に受かろうと思って、猛勉強を始めました。
ただ、5年間くらい学校に行かなかったため、全く勉強していなくて。中学校の勉強どころか、小学校の復習からなんです(笑)
最初は、小学校5,6年生のドリルを使って分数とか漢字とかしてました。
そして半年後、無事に高校、しかも志望校に合格できました!
━━うぉ~、めっちゃすごい!おめでとうございます!
そんなに頑張って高校に入ったんですから、高校生活は楽しかったですか?
いや、それが、高校やめようってすぐ思いました。
最初の3か月くらいは特に。
━━え?どうしてですか?
当時の僕はムダにプライドが高かったんでしょうね(笑)
2歳年下の子たちと一緒に生活することに耐えられなかったんですよ。お前ら何も知らないな…みたいな。
ドラゴンボールで言うとベジータくらい、僕はプライド高かったので。
━━超強い!圧倒的ですね(笑)
でもやっぱり高校に入るまでに頑張ったことをを無駄にしたくないと思って、高校生活を楽しむ方法を懸命に考え始めました。
で、結論としては、要らないプライドを捨てて、「脱・ベジータ」しようと。
楽しくない理由って、自分が心を開いてないからじゃないかなって気づいたんですよ。
学校に行かなかったときに、満足感って友だちとか、そういう相手がいることでしか得られないと実感していたので、自分が変わるしかないと。
なんか、いま口で言うと簡単にできたみたいですけど、4月に入学して、クラスに打ち解けたかなと思ったのが、冬でしたからね。
ほぼ1年間、かかってしまいました(笑)
ただ、やっぱり1年生の後半からだんだんと高校生活が楽しくなりましたね。
━━部活とかはしてたんですか?
高校が全体に部活は入らなくちゃいけない方針だったので、部活は高校1年生から剣道を始めてました。
ずっと合気道やっているので、同じ武道でかっこいいなと思ったことです。
でも、剣道部は2年生のときに除名されてしまいました。
剣道の公式試合って、20歳以上は出られないんです。
2年生のときまだ19歳だったので、公式試合の年齢制限的に最後の年だ!ってめちゃめちゃ意気込んでて、レギュラーの座を勝ち取ったんです。
でも、友だちから二十歳(はたち)とか、長老とか呼ばれていたので、どうやら顧問の先生が僕の年齢えを勘違いして、20歳だと思ってたらしいんですよ。
だから出場できないってことで除名されて。
━━えぇ~~、抗議とかしなかったんですか!!
もう締め切りが過ぎてて、変更できなかったんですよ。
かなりへこんだんですけど、年齢制限のない、何か夢中になれることはないかなって前向きに考えるようになって。キラキラしてる何かを探しました。
それが、生徒会長になったきっかけです。
━━ええ、生徒会長になったんですか?
はい。僕がいた爪痕というか、実績を残したくて。
あと、生徒会長とかになったら、いろんな場面で話のネタになるなって。
━━確かに!「20歳の生徒会長」ってインパクトすごい。
20歳の生徒会長っておもしろいと思いませんか?って演説したら、みんな票を入れてくれました(笑)
生徒会長になったら、周りの子がめっちゃ協力してくれるんですよ。例えば、「小野隼輝」とか、馬は合わないけど仲がいいっていう、そんな友だちに出会うことができました。
※小野さんのインタビュー記事は、ページの一番下で紹介しています。
家族とかもみんな「お前、生徒会長のキャラちゃうやろ!できんの?」みたいな感じでしたけど、すごく応援してくれました。
それまでずっと、心配というか迷惑というかをかけてきていたので、安心してくれたんだと思います。
「死ぬほどの経験がしたい」 野宿縛りの日本一周・原チャ旅。
━━大学生活は、どうでしたか?
入学したときは、またつまらなすぎて、ずっと刺激を求めてました(笑)。
そういうのもあって、刺激はずっと求めていて、だから、1回死ぬくらいの体験したいって思うようになりました。
━━死ぬくらいの体験?具体的には?
そのとき僕、原付バイクを持ってたので、
原付で日本1周するのがいいなって思って、思いついたその日に実行しました。お金がなかったので、宿泊は全て野宿で行くことにしたんです。
━━野宿ってどういうことですか?
屋根のある場所を探して、その下で寝袋で寝て。
屋根のあるところって探すのが大変で、道の駅に交渉したり、トイレの屋根の下とかで寝てましたね。(笑)
━━どういうルートで旅したんですか?
北から南に本州を一周しました。
東日本を5日で回ったんですけど、なぜか台風と一緒に北上したので、ずっと大雨で死ぬかと思いました。まじで。
その後、山口までを16日かけてぐるっと回ってきました。
━━西日本は順調にいったんですか?
それが、広島で事故を起こしてしまって、血だらけになっちゃたんです。あの時はもうほんと、テンション下がりましたよ(笑)
━━テンション下がったじゃ済まないでしょ(笑)
血だらけで済んでラッキーだったんです。
その道路、2トントラックとかが走ってて、あと数秒遅かったらホントに死んでました。
(事故を起こしてテンションが下がった若松さん)
でも、死ぬくらいの体験じゃないですけど、死にかける体験はできたので満足です。
決して日常にはない体験だったのでしたし、やっぱりやりたいことはやらないと損ですね!
━━次はどんなことしようかとか考えているんですか?
各都道府県回って、ご当地虫を食べようっていう企画を練っています。
━━なんで虫!!!!!
僕、セミとか食べたことあるんです。(笑)
人と変わったことするのが好きなので、そういうのを自分でしながら、Webを使って自由に発信していきたいなって考えたりするんです。
それに就職活動して、IT系企業に入社が決まったので、仕事で自分が何をできるか、これから真剣に考えていきたいと思ってるんですよ。
インタビューを終えて
わが道を行き、人々を楽しませるエンターテイナー。
そんな彼は、人と違うことをやるのが好きという。
「え?そんなことやるの?」って人に言われると楽しくなるんですよね。
高いところから飛んだり、虫を食べたりすると、みんながおもしろがって、盛り上がってくれる。
そんな瞬間が好きです。
死ななければ基本何でもやりますよ。
もちろん周りが不幸にならないことならね。
「インパクトで選ぶ」という選択基準をもつ彼にとって、固定概念とか伝統とかは重要ではない。
とにかく今を生きて、みんなを喜ばせたい。
学校に行かなかった5年間、たくさん悩み、そんな結論にたどり着いたそうだ。
若松憲生のプロフィール
龍谷大学社会学部4回生
就職先:株式会社プラスワン
次回の奇学生
若松さんが紹介する学生は、若松さんの高校の同級生である、小野隼輝さん。
大学時代にファッションショーに出たり、ヒッチハイクやフリーハグをしたり。
そんな彼が、最近東京でバーを開いた。そのきっかけがかなりユニークです。
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この記事を書いた人: 京トーク編集部
京トーク編集部です。
大好きな京都で生活をし、京都に住んでいる人や京都を訪れる人に、もっと京都を楽しんでほしい!と思い、日々記事を更新。
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