祇園祭~山鉾と神輿一覧~
祇園祭大好き女子大生のライター水英(みえい)です。
今回は、祇園祭の山鉾と神輿のを一覧にしてみました。
山鉾は全部で34基あり、神輿は3基あります。
鉾と山は、形が違うんです。
※すべてが当てはまる訳ではないので混乱に注意してください。
大まかに言えば…
鉾 = 屋根の上に長い真木(しんぎ)が立っていて、その先端に商象徴ともいえる鉾頭が飾られている
山 = 御神体の人形と、真松(しんまつ)と呼ばれる松の木が飾られている
例外については個別に解説しますね!
祇園祭については、祇園祭入門~祇園祭の楽しみ方~でもまとめているので、興味があったらそちらもぜひご覧ください。
それでは、前祭と後祭に分けて山鉾を紹介していきます。
前祭の山鉾~鉾9基~
・長刀鉾(なぎなたほこ)
・月鉾(つきほこ)
・菊水鉾(きくすいほこ)
・船鉾(ふねほこ)
・函谷鉾(かんこぼこ)
・鶏鉾(にわとりほこ)
・放下鉾(ほうかぼこ)
・綾傘鉾(あやがさほこ)
・四条傘鉾(しじょうかさほこ)
ここからは前祭の各鉾の詳細です。
長刀鉾(なぎなたほこ)
【下京区四条通東洞院西入】
鉾の先に大長刀がついている長刀鉾。
くじとらず(山鉾巡行の順番は毎年くじを引いて決めます)で、山鉾巡行では必ず先頭にたち、数ある鉾の中でも最古の鉾です。
現在では唯一生稚児が乗る鉾でもあります。
(かつては他の鉾も生稚児が乗っていましたが、現在は人形で代用しています)
長刀鉾に飾られている絨毯はペルシャや中国から輸入された大変貴重なもので、世界のどこにも同じものはないそうです(現在は復元品を使用しています)。
長刀鉾には一般の人も乗ることができます(女人禁制のため、女性は乗れません)。
月鉾(つきほこ)
【下京区四条通室町西入】
鉾の先にはみかづき(新月型)がついています。
山鉾の中で最も大きく、重いのが特徴です。
鉾の装飾品はひと際華麗で貴重なもので、山鉾の中でも最高と言われています。
祇園祭の『動く美術館』の代表ともいえる鉾です。
月鉾が祀っている『月読尊(ツキヨミノミコト/ツクヨミノミコト)』は夜を支配する月の神であると同時に、水徳の神でもあることから、月鉾には月や水に関する装飾品が多くみられます。
菊水鉾(きくすいほこ)
【中京区室町通四条上ル】
町内に古くからあった井戸、菊水井にちなんで名付けられた鉾です。
鉾頭には点に向いた金色の菊花をつけています。
昭和に再建された比較的新しい鉾で、その装飾は年々充実しています。
屋根の形が特徴的で、曲線的な唐破風(からはふ)造りになっています。
船鉾(ふねほこ)
【下京区新町通綾小路下ル】
船鉾は船の形をしていて、真木はありません。
日本書紀の説話をもとに作られており、御神体は安産の神とされています。
後祭りにも船の形をした大船鉾があり、前祭の船鉾は「出陣船」、後祭の大船鉾は「凱旋船鉾」とも呼ばれていて、この2基は古来同時に巡行することはないとされています。
船鉾はくじとらずで、巡行時、必ずしんがりを務めます。
函谷鉾(かんこぼこ)
【下京区四条通烏丸西入】
函谷鉾は、中国戦国時代の故事にちなんで名づけられました。
鉾頭には上向きの月があしらわれています。
見どころは、16世紀のベルギー製タペストリーで、重要文化財にも指定されています。
現在の函谷鉾は、天明の大火で焼失したため、1839年に復元されたものです。函谷鉾はくじとらずで、毎年5番目に巡行します。
鶏鉾(にわとりほこ)
【下京区室町通四条下ル】
政治に不満があれば叩くように、と宮廷の外に太鼓が置かれていたが、世が安定して平和が続くと使われなくなり、太鼓には苔が生えて、鶏が巣をつくったという中国の故事「諫鼓(かんこ)」に由来すると言われています。
見どころは江戸時代初期に輸入された16世紀おベルギー製タペストリーで、これも重要文化財に指定されています。
放下鉾(ほうかぼこ)
【中京区新町通四条上ル】
芸を披露しながら仏法を説く放下僧(ほうかそう)を祀る鉾です。
放下鉾は鉾頭が特徴的で、日・月・星(三光)が下界を照らす形を表しています。
この形が洲浜(すはま)の形と似ているので、「州浜鉾」とも呼ばれます。
くじとらずで、巡行時は21番目です。
綾傘鉾(あやがさほこ)
【下京区綾小路通室町西入】
綾傘鉾は、応仁の乱以前の、古い山鉾の形を今に伝えている傘鉾です。
33基ある山鉾でも、この形の鉾は綾傘鉾と四条傘鉾だけです。
1864年元治の大火で大部分が焼失し、巡行が完全に途絶えてしまった時期もありましたが、1979年に復興が成し遂げられてからは、毎年山鉾巡行に参加するようになりました。
現在では山鉾巡行中、最大級の長さを誇る一列です。
四条傘鉾(しじょうかさほこ)
【下京区四条通西洞院西入】
綾傘鉾と同じく、古い山鉾の形を今に伝えている傘鉾です。
応仁の乱や1864年の元治元年の大火で焼失を繰り返し、1872年以降巡行が途絶えていましたが、1985年に祇園祭に復帰し、その3年後1988年、117年ぶりに巡行に復帰しました。
前祭の山鉾~山14基~
・芦刈山(あしかりやま)
・油天神山(あぶらてんじんやま)
・霰天神山(あられてんじんやま)
・岩戸山(いわとやま)
・占出山(うらでやま)
・郭巨山(かっきょやま)
・太子山(たいしやま)
・蟷螂山(とうろうやま)
・木賊山(とくさやま)
・伯牙山(はくがやま)
・白楽天山(はくらくてんやま)
・保昌山(ほうしょうやま)
・孟宗山(もうそうやま)
・山伏山(やまぶしやま)
ここからは前祭の山の詳細をご説明します。
芦刈山(あしかりやま)
【下京区綾小路通西洞院西入】
謡曲「芦刈」(別れた夫と再会する妻の物語)に取材した山です。
山の正面 ・側面には芦の造花が飾られています。
御神体・衣装ともに山鉾のなかでも特に古く、重要文化財に指定されています。
油天神山(あぶらてんじんやま)
【下京区油小路通綾小路下ル】
古くから町内に祀られていた天神(菅原道真)を祀った山で、朱色の鳥居が立てられ、天神像が祀られているのが特徴です。
御神体の菅原道真にちなんで、宵山では学問成就のお守りが授与されます。
「牛天神山(うしてんじんやま)」とも呼ばれます。
霰天神山(あられてんじんやま)
【中京区錦小路通室町西入】
京都で大火が起こったとき、急に霰が降ってきてすぐに鎮火、その際に霰とともに降りてきた天神像を祀ったのがはじまりとされている山です。
一度も火難に遭っておらず、「火除け天神」とも呼ばれます。
また、錦小路通室町西入にあることから、「錦天神山」とも呼ばれます。
巡行時には紅梅と松が山に乗せられ、天満宮らしい姿になります。
岩戸山(いわとやま)
【下京区新町通仏光寺下ル】
「天岩戸」の神話(天照大神(アマテラスオオミカミ)が岩戸に隠れたことで世界が暗闇に覆われてしまい、困った八百万の神が天照大神を引っ張り出した物語)に基づく山です。
ご神体は天照大神と、彼女を岩戸から引っ張り出した手力雄命(タヂカラオノミコト)、そして天照大神の父・伊弉諾尊(イザナギノミコト)で、屋根の上に飾られているのは伊弉諾尊です。
山ではありますが、鉾と同じように車がついた「曳山」で、見た目も鉾に似ています(他の山は「舁山」といいます)。
くじとらずで、巡行では22番目を務めます。
占出山(うらでやま)
【中京区錦小路通室町東入】
神功皇后(じんぐうこうごう)が鮎釣りで戦勝を占ったという説話にちなんだ山です。
御神体(神功皇后)は右手に釣竿、左手に釣り上げた鮎を持っています。
神功皇后は安産の神として祀られていて、山鉾巡行のくじ順が早いとその年はお産が軽いといわれています。
郭巨山(かっきょやま)
【下京区四条通西洞院東入】
中国の故事(郭巨は貧しくて母と子を養えず、思い余って子を山に捨てようとしたときに金の窯を掘り当てる)に由来しています。
御神体は郭巨とその子です。この山は屋根がついているのも特徴です。
太子山(たいしやま)
【下京区油小路通仏光寺下ル】
聖徳太子を祀った山です。聖徳太子が杉の巨木で六角堂を作ったという伝説をもとにしています。
聖徳太子に因み、粽やお守りには知恵を授かるご利益があるとされています。
蟷螂山(とうろうやま)
【中京区西洞院通四条上ル】
蟷螂山の特徴は、なんといってもカマキリです。
祇園祭の山鉾としては、唯一からくりが施されていて、カマキリが羽を広げます。
カマキリの自分の力をわきまえず、大敵に立ち向かう勇敢さを賞した中国の故事がもとになった山です。
木賊山(とくさやま)
【下京区仏光寺通西洞院西入】
世阿弥の謡曲「木賊」の、老翁が、人にさらわれて生き別れになってしまった子を思いながら舞う場面を表しています。
御神体は等身大の老翁像です。
もとになったテーマにちなんで、お守りは「迷子除け」という珍しいものです。
伯牙山(はくがやま)
【下京区綾小路通新町西入】
親友の訃報を聞いた伯牙が、自分の琴を聴いてくれる人がいなくなってしまったことを嘆いて、琴を斧で割ろうとしている場面を表した山です。
このことから、以前は「琴破山(ことわりやま)」と呼ばれていました。
装飾品がすべて中国風で統一されているのが特徴です。
白楽天山(はくらくてんやま)
【下京区室町通綾小路下ル】
御神体は二体あり、唐冠を付けたほうが白楽天、帽子を被った僧形が道林禅師です。
唐の詩人である白楽天が道林禅師に仏法の大意を問う場面を表現しています。
白楽天は高名な詩人であり、さらに有能な官僚でもあることから、厄除けと学業成就のお守りが授与されます。
保昌山(ほうしょうやま)
【下京区東洞院通松原上ル】
平井保昌と和泉式部の恋物語が題材になっており、保昌が式部のために紫宸殿の紅梅を手折ってくる姿を表しています。
縁結びご利益があるとされていて、女性に人気の山です。
宵山では、梅の花をあしらった縁結びのお守りなどが授与されます。
孟宗山(もうそうやま)
【中京区烏丸通四条上ル】
この山は、孟宗が病気の母に好物の筍を食べさせようと、雪の中で筍を掘り当てた姿を表しています。
そのため、「筍山(たけのこやま)」とも呼ばれています。
故事の場面が冬のため、松の木には綿の雪がつけられていることが特徴で、粽にも雪があしらわれています。
また、故事にちなみ、親孝行のご利益があるとされています。
山伏山(やまぶしやま)
【中京区室町通蛸薬師下ル】
御神体は、八坂の塔を法力で直してしまったという山伏(平安時代の修験者である浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)だと言われています)をモデルにしています。
民間信仰として人気のあった修験道・山伏から着想された山です。
周囲を飾る水引「養蚕機織図」の綴織(つづれおり)は、江戸時代後期の作品と伝えられています。
後祭の山鉾~鉾1基~
・大船鉾(おおふねほこ)
後祭の鉾は1基のみとなっております。
大船鉾(おおふねほこ)
【下京区新町通四条下ル】
2014年に150年の時を経て復興しました。
前祭の船鉾が神功皇后の出陣を表現しているのに対し、大船鉾は戦に勝った凱旋の船を表しています。
くじとらずで、巡行の最後尾を務めます。
500年以上の歴史をもち、蛤御門の変で大部分を消失してからは祇園祭に参加していませんでしたが、1997年にお囃子復興、2014年に150年ぶりに巡行に参加しました。
後祭の山鉾~山10基~
・役行者山(えんのぎょうじゃやま)
・北観音山(きたかんのんやま)
・黒主山(くろぬしやま)
・鯉山(こいやま)
・浄妙山(じょうみょうやま)
・鈴鹿山(すずかやま)
・橋弁慶(はしべんけいやま)
・八幡山(はちまんやま)
・南観音山(みなみかんのんやま)
・鷹山(たかやま)
それでは、後祭の山の詳細です。
役行者山(えんのぎょうじゃやま)
【中京区室町通三条上ル】
役行者は医療などにつとめた僧で、民衆に人気がありました。
修験道の開祖と言われており、一言主神を使って葛城山と大峰の間に石橋をかけたという逸話をもとにした山です。
御神体は、役行者と一言主神、葛城(かずらき)女神の三体の人形で、人形の数が多いため山の大きさも最大になっています。
北観音山(きたかんのんやま)
【中京区新町通六角下ル】
「上り観音山」とも言います。
応仁の乱の頃から隣町の南観音山と、1年交代で山を出していたといわれています。
御神体は楊柳観音像(ようりゅうかんのんぞう)と韋駄天立像(いだてんぞう)で、飾り屋根が特徴です。
形は鉾に似た曳山ですが、鉾ではないので真木の代わりに赤松を立てています。
くじとらずで、橋弁慶山に続き25番目(後祭では2番目)に巡行します。
黒主山(くろぬしやま)
【中京区室町通三条下ル】
謡曲「志賀」のなかで、大伴黒主(おおとものくろぬし)が桜を眺める様子をテーマにしています。
山を飾る桜の造花は、家に悪事を入れないお守になり、黒主山には盗難除けのご利益があります。
亀屋吉長製の食べられる粽が有名です。
鯉山(こいやま)
【中京区室町通六角下ル】
魚をテーマにした珍しい山です。
竜門の滝をのぼる鯉は竜になるという「登竜門」の故事に由来し、鯉が勢い良く水しぶきを上げる様子が表されています。
重要文化財に指定されている16世紀ベルギー製のタペストリーの装飾が有名です。
一枚のタペストリーを裁断して用いていて、白楽天山や霰天神山、鶏鉾のものと同じシリーズの品です。
浄妙山(じょうみょうやま)
【中京区六角通烏丸西入】
平家物語の宇治川の合戦で、一来法師(いちらいほうし)が筒井浄妙(つついじょうみょう)の頭の上を飛び越え、先に戦陣をとる様子を表現したアクロバティックな人形の姿が特徴の山です。
また、後部に付いている柳の木は、宇治川の川岸を表しています。
ミニ粽ストラップも人気です。
鈴鹿山(すずかやま)
【中京区烏丸通三条上ル】
鈴鹿山(すずかやま)で、人々を苦しめた悪鬼を退治した鈴鹿権現(すずかごんげん)(瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)とも言います)の伝説に由来する山です。
女性の姿をした鈴鹿明神像が立て烏帽子を被り、大長刀を手にしている姿が特徴です。
松に付けられた絵馬は、巡行後に盗難除けのお守として授与されます。
橋弁慶(はしべんけいやま)
【中京区蛸薬師通室町東入】
五条の橋の上で対面する牛若丸(義経)と弁慶の姿を表した山です。
舁山では唯一のくじとらずで、24番目(後祭では巡行の先頭)を務めます。
八幡山(はちまんやま)
【中京区新町通三条下ル】
「はちまんさん」とも呼ばれます。
石清水八幡宮が祀られている山です。
鳥居の上には、向かい合って八幡神のシンボルである鳩が2羽飾られているのが特徴です。
夫婦和合・子供の健康・夜泣き封じのご利益があると言われています。
南観音山(みなみかんのんやま)
【中京区新町通錦小路通上ル】
「下り観音山」とも言います。
かつては後祭のしんがりを務めていましたが、現在は29番目(後祭では6番目)を巡行します(くじとらずです)。
御神体は北観音山と同じく楊柳観音像と善財童子像です。
巡行前日の23日深夜には、楊柳観音像を御輿に縛りつけ町内を3週する儀式「あばれ観音」が行われます。
「北観音山の観音への恋心を鎮めるため」(北観音山の観音様は男性、南観音山の観音様は女性と言い伝えられています)とも言われますが、いわれは定かではありません。形は鉾に似た曳山です。
鷹山(たかやま)
【中京区三条通室町西入】
応仁の乱以前より巡行していたとされる由緒ある山です。
中納言・在原行平(在原業平の兄)が鷹狩をする場面を題材としていて、「鷹つかい山」とも呼ばれています。
御神体は鷹遣(たかつかい)と犬飼(鷹を補助する猟犬を扱う人)、樽負(たるおい・道具等を運ぶ人)の人形3体で、形は大型の曳山です。
大雨や大火によって御神体の一部を除き、大部分が消失して以来、休み山になっていましたが、2019年に唐櫃(からびつ)を担いで、193年ぶりに巡行に参加しました。
2022年に山の完全復帰が決まっています。
休み山
大火で懸装品や御神体を焼失、もしくは山鉾町の事情で現在巡行していない山を「休み山」といいます。現在休み山は布袋山のみです。
布袋山(ほていやま)
【中京区蛸薬師通室町西入】
布袋尊と二童子を祀っている前祭の山です。
天明の大火によって大部分が焼失してしまったそうで、今ではどのような形態の山であったのかもわかっていません。
粽と護符の販売は行っています。
神輿
中御座
素戔嗚尊 (すさのをのみこと)を祀る神輿です。
六角形の屋根で、鳳凰が飾られています。
担ぎ手は三若神輿会(さんわかしんよかい)が務めます。
東御座
櫛稲田姫命 (くしいなだひめのみこと)を祀る神輿です。
櫛稲田姫命は素戔嗚尊の妻です。
四角形の屋根で、擬宝珠が飾られています。
担ぎ手は四若神輿会(しわかしんよかい)が務めます。
西御座
八柱御子神 (やはしらのみこがみ)を祀る神輿です。
八柱御子神は素戔嗚尊の子です。
八角形の屋根で、鳳凰が飾られています。
神輿のうちで最も重く、重さは約2トンもあります。
担ぎ手は錦神輿会(にしきしんよかい)が務めます。
まとめ
ひとつひとつの山鉾に由来や特徴があることを知っていると、より祇園祭を楽しめますね!
祇園祭の主役である神輿は四条寺町の御旅所に安置される期間があるため、神輿渡御を見に行かなくても、きっと目にする機会があると思います。
山鉾も神輿も、ぜひ一度しっかり見てみてください。
思った以上に面白いと思いますよ!
この記事を書いた人: 水英
【みえい】物語とバイク、革製品、化粧品がすき。水色やオレンジがすきだけど、フューシャピンクって名前が可愛くていいかも。カメラも自転車も旅行もすき。マイペースな自由人。
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