ハレの日に食事と宿泊を 440年の伝統と変化
[料理旅館 山ばな 平八茶屋]
料理旅館「山ばな 平八茶屋」。
京都・洛北の閑静な街中にあるこちらの料理旅館は、なんと440年の歴史があるお店なんです!
天正年間創業の歴史ある料理旅館で懐石料理を楽しみ、ゆったり宿泊…なんて最高のひと時ですね。
ちなみに、平八茶屋さんは夏目漱石や北大路魯山人といった著名人も訪れた名店だそう!
440年の老舗といえど、料理は代ごとに良いと思う味へと変化させるなど、革新の精神もお持ちです。
今回はそんな、山ばな 平八茶屋さんの21代目ご主人・園部晋吾様に取材をさせていただきました。
園部晋吾(そのべ しんご)さん
(山ばな平八茶屋 21代目若主人)
1970年生まれ。日本大学卒業後、大阪北浜にある“料亭 花外楼” にて修行。京都料理芽生会副会長、NPO法人日本料理アカデミー地域食育委員会委員長、京都市教育委員会“日本料理に学ぶ食育カリキュラム推進委員”として食育活動に従事。京都市社会教育委員として社会教育・生涯学習の会議に参加2007年 京都府青年優秀技能者奨励賞(明日の名工)の表彰を受ける。
──440年の歴史ある平八茶屋さまに取材をさせていただくことができて大変嬉しく思います。
本日はよろしくお願いいたします!
よろしくお願いいたします。
街道茶屋として始まった平八茶屋
──平八茶屋さまはどのような経緯で始まったのでしょうか?
店の前は「若狭街道(鯖街道)」という通りで、京都から日本海に抜ける街道の一つでした。
その街道茶屋として初代の平八が始めたのが平八茶屋です。
──初代が「平八」というお名前だったから平八茶屋なんですね。
「平八」という名前は代々襲名しておりまして、私の父で20代目「園部平八」になります。
私もゆくゆくは、21代目「園部平八」になります。
代によっては戸籍ごと「園部平八」という名に変える場合もあるんですよ。
夏目漱石も訪れた! 文豪たちに愛されるお店
──夏目漱石も京都を訪れた際に、平八茶屋さまを利用されたと日記に記されています。
夏目漱石や正岡子規、高浜虚子など数々の文豪に愛されたお店だそうですね。
私どもは茶屋ですので、そうした伝記などの資料は残っていないですね。
後になって夏目漱石の日記や小説、高浜虚子の句などから「昔、彼らが弊店に訪れてくださったのだな」と分かる形です。
ただ、日記や小説に「平八茶屋」の名前を残してくださったのは、ありがたいことですね。
夏目漱石のファンの方も時々訪れてくださるんですよ。
──また、北大路魯山人と平八茶屋18代目ご当主も親交があったそうですね!
魯山人はもともと松ヶ崎の豪商・内貴清兵衛の書生をしていました。
そのときのおつかいで弊店に訪れ、18代目当主と仲良くなったようです。
18代目当主の還暦の祝いに、魯山人が持ってきてくれたのは、一筆の掛け軸でした。
“とろろやの主ねばって六十年平八繁昌子孫萬采”の書は、平八茶屋の末代までの繁栄を願って書いてくださったもので、私たちはとても大切にしています。
この掛け軸は魯山人と先代との親密さを物語っているのかなと思いますね。
茶店から川魚専門店へ。そして、料理旅館へと形態が変化
──平八茶屋さんは街道茶屋から始まったとのことですが、今のような料理屋の形態になったきっかけは何ですか?
もともと目の前は若狭街道という街道でしたが、明治になって鉄道ができて、街道の役割や利用する人が少なくなってきたんですね。
そして弊店も街道茶屋としての意味が少なくなってきました。
そこで先代は、店の裏にある高野川や鴨川、琵琶湖を活かして川魚をつかった川魚料理専門店を始めたんです。
──そのような経緯で茶屋から料理屋へとなっていったのですね。
旅館業はどれくらいの時期から始めたのですか?
もともと街道茶屋は宿泊施設との明確な区別もありませんでした。
夏目漱石が来られた時もそうですが、「食事してお腹膨れたからゴロッと横になって朝に起きる」という利用のされ方もあったんですよ。
──そんなような宿泊の利用があったとは…(笑)
昔の街道茶屋さんはお客さんにとても寛容だったんですね。
そうですね。
昭和45年には大阪万博があり、そこから弊店も宿泊に本格的に力を入れるようになりました。
そして宿泊も兼ね備えた料理旅館という形になりました。
特別な日の懐石料理。名物は“ぐじ”
──お食事は、どのような方がよく利用されますか?
観光の方もたくさんいらっしゃいますが、冠婚葬祭で利用される方も多いです。
ご婚礼やお食い初め、お宮参りなどの慶事やご法事等、昼間はそういうご利用の方が多いですね。
弊店としては、節目を大事にしています。
特別な日、ハレの日に利用してもらえる。その場に合わせた料理を提供しています。
──平八茶屋さんは、お魚「ぐじ」が名物料理とのことですね。
ぐじって何なのですか?
日本海で獲れる赤甘鯛のことで、京都では「ぐじ」といいます。
弊店では、ぐじをメインにした若狭焼という焼き物や、刺身にした向付をご提供しています。
このような料理の出し方は、他の料理屋ではあまりやらないのでお客様にとっては新鮮に映っているようですね。
──ぐじを名物料理として提供するようになった経緯は何ですか?
京都は海から離れていますし、昔は鮮度の良い魚といったら川魚だったんですね。
しかし、だんだんと流通が良くなっていって鮮度が良いものが手に入るようになってきたら、人々の嗜好が海の魚に移行していきました。
そこで川魚料理専門店だった弊店でも、海の魚を使った懐石を新たに作ろうと20代目当主(私の父親)が「ぐじ」を使った懐石を作ることに決めました。
せっかく若狭街道で日本海とのつながりがあったのだから、日本海の魚を使おうとなったんです。
また、その中でも、京都で珍重されている「ぐじ」を主体にした懐石を作りました。
──ぐじと鯛の違いって何なのでしょう?
甘鯛とはいうものの、ぐじと鯛とは全く別物です。生での食べ方も違います。
鯛はそのまま生で食べます。
でも、ぐじって深海魚に近いお魚で、身が水っぽく柔らかい。
なので、そのまま生で食べることはなく、獲れたての魚にうすく塩を振って一昼夜かけて京都に運んできます。
塩を振ることで余計な水分が抜け、たんぱく質がアミノ酸に変わってうま味も増し、身がもっちりとした感じに仕上がるんです。
かつては保存のための塩でしたが、それが実は味や食感にすごく良い効果をもたらしたということですね。
当代ごとに味を変化。しかし変わらない良さがある
──麦飯とろろ汁も平八茶屋さんの名物ですね。
麦飯とろろ汁は、うちの名物として昔からやっております。
しかし内容については、当代ごとに自分の良いと思う味に変えていってるんですね。
時代ごとに味の嗜好も違いますし、その時代の当主がいいと思うものを出していくことが大切だと思います。
──ご主人の代で変えたことは何かありますか?
私の代では、麦飯とろろ汁で使うお米をコシヒカリから朝日米に変えました。
コシヒカリというのは父親が選んだもので、日本で主流なお米を麦飯とろろ汁に使用していました。
ただ私はコシヒカリの麦飯とろろ汁にすごく違和感を感じたんですね。
コシヒカリのモチモチ感と麦のゴツゴツ感が合わないと思いました。
その中で見つけたのが、岡山の朝日米です。
粒が大きくてちょっとパサッとしたお米なので、麦と調和してどちらも存在感を出します。
また、とろろをかけたときにスーっとなじんでいくので、非常にバランスが良い。
これは後で分かったのですが、朝日米はもともと京都で作られていた京都旭がルーツになっていました。
偶然にも京都とつながりがあったんです。
──そんな偶然の縁があったんですね!
また、とろろ汁に関しては、昆布や鰹節、ダシの取り方もすべて変えました。
昔からのお客様に何か言われるかなと思ったのですが、何も言われなかったんですね。
畳屋さんや庭師さん、表具屋さんなども色々と変えていっています。
でも20年前や50年前に来られたお客様から「このお店は変わらんなー」とお褒めの言葉をいただきました。
こちらはどんどん変えていっているのにも関わらず、お客様は変わらない何かを感じてくれている。
この店の変わらない良さというものがあるのかもしれません。
旅館に泊まると、かま風呂を利用できる
──宿泊はどのような方が利用されますか?
観光で泊まられる方や結婚式や披露宴をされる方がお泊りになられる場合が多いですね。
また最近は海外から来られる観光客も多く、全体の6割くらいは外国人観光客の方ですね。
日本好きで、旅館の布団や浴衣を経験してみたいという方が多く、ご好評いただいています。
──ほかの旅館にないオススメポイントは?
かま風呂は他の旅館にもあんまりないのではないかと思います。
──えっ、かま風呂って何ですか?
かま風呂は簡単に言うと、和風サウナです。でも蒸し風呂で、もともとの日本の風呂です。
室の中に熱湯をまいて蒸気を満たし、汗をかいたら、アカをこすり落とす、という日本古来のお風呂です。
うちのかま風呂も室の中に入って横たわり、体を温め、汗を流すというスタイルです。
外国の方にも喜んでいただけますね。
──はじめて知りました。これは体験してみたいですね!
京都という土地で、日本文化に触れてみること
──懐石料理やかま風呂など、日本文化の良さがたくさん詰まった料理旅館さんですね!
新卒の学生という立場から見ると、日本文化に触れながら働きたいという方にピッタリだと思いました。
日本文化と聞くと、「めんどくさいな」、「陰気臭いな」と思う方もいるかもしれません。
でも日本文化のもつ慎ましさや奥ゆかしさの精神性。一部を見て残りの9割を想像するような世界が日本文化独特のものなのかなと思います。
京都っていうのは日本文化がすごく凝縮した街ですし、日本文化に触れるという意味ではすごく良いと思います。
また、和食というのは日本人の身体に合った食事だと思います。
この和食、日本食に少しでも関心がある方はうちのような日本料理屋で働いてみるのがいいんじゃないかなと思いますね。
──今後についてはどうお考えですか?
今後の目標としては、今よりも良い状態で次世代に渡して、繋げていくことですね。
なにか大きな変化や設備投資をするときに「これは果たして自分の息子や孫にとって良いことなのか」っていうことを考えますね。
次の後継者に託すときに、「今よりも良い形で」と思っています。
──本日は取材をお受けいただき、誠にありがとうございました。
ありがとうございました。
まとめ
懐石料理は写真を見ただけでも思わずヨダレが出てしまうほど、美味しさが伝わってきます。
ハレの日を祝う懐石料理は、彩りも鮮やかでこれからやってくる日々の楽しさを感じさせてくれるもの。
いつか迎えるかもしれない婚礼の日や、人生の記念日に味わいに来たいと強く思いました。
また、440年にわたる平八茶屋の歴史についてお伺いできたのも大変貴重なものでした。
茶屋から日本料理屋、そして料理旅館へと至る変遷に日本の食文化の一端が垣間見られました。
夏目漱石氏や北大路魯山人氏といった著名人も訪れ、味わった料理に舌鼓を打ちながら、悠久の時に思いを馳せてみるのもいいでしょう。
京都には日本文化を楽しめる史跡や料亭、お宿は数多ありますが、平八茶屋さんは、そのなかでも最高峰に位置しているといっても過言ではありません。
21代目当主 園部晋吾氏のもとで修行に励みながら、伝統の担い手として、また新しい歴史を築く一人として働いてみるのもいいのではないでしょうか。
ちょっと贅沢な京都観光を楽しみたいときや、婚礼などハレの良き日の食事を検討されている方は、ぜひ平八茶屋の老舗の味と心を堪能してみてください。
【山ばな 平八茶屋】
場所 |
京都府京都市左京区山端川岸町8-1 |
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連絡先 |
TEL:075-781-5008 FAX:075-781-6482 |
営業時間 | 11:30~21:30 (ランチ 11:30~15:00) |
定休日 |
水曜日 |
駐車場 | 有 (バス3台、自動車10台) |
交通アクセス | 四条河原町より京都バス(八瀬大原行17,18、岩倉実相院行21、岩倉村松行41)約20分 「平八前」下車すぐ 京都市営地下鉄(烏丸線) 「北山駅 (2番出口)」~ タクシー 5分 京都市営地下鉄(烏丸線) 「松ヶ崎駅」~徒歩20分 叡山電鉄 「修学院駅」~ 徒歩 5分 JR京都駅~タクシー30分 名神(京都南IC、京都東IC)~車45分 |
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